広瀬すずになりたい

 

広瀬すずになりたい

 

 

国民健康保険料が払えない。

厳密に言うと、払えなくはない。

払うと、私の収入がマイナスになる。ただそれだけだ。

 

月1万弱も払えないなんて情けない。

恥を承知で役所に行った。

国保の減免のお願いをしに行った。「ちょっと、払うのが難しいんですが」って。

田舎に帰省してから収入は半分以下になっていた。

都会にいたくせに遊びというものをしなかったおかげで貯金はまあまああった。その貯金も、実家への家賃と、人に貸した分と、ローンと、文化的な生活のための出費で底をつき始めていた。

働いている日数と時間は前より多いのに、収入は半分以下。それが田舎の現実だ。

 

役所の受付のおばさんは優しい。

「この券を持って、あそこの窓口に行ってくださいね」と笑顔で教えてくれる。

国から金をせびりに来た女にもこんなに優しくしてくれるんだと思った。

国保の減免の待合椅子は、キティちゃんのスリッパを履いた髪のボサボサのおばさんと、湘南乃風を崇拝してそうなお兄さんが先に座っていた。

 

 

20分ほど待ち、私の番がきた。

結論から言うと、保険料は増えた。

減免してもらう予定が、反対に増えてしまった。

増えた理由はいろいろあってのことなんだけど。

 

対応してくれたおじさんはとても申し訳なさそうに「すみません、大丈夫ですか?」と何度も私に言った。

 

 

大丈夫な訳ないだろ。

大丈夫な訳が、ないだろ。

 

 

減免が認められなかった。

国保の減免は、私よりもっと辛く苦しい人のためにあるそうだ。

家族が病気になった人、自分が病気になった人、会社が倒産した人、そんな人たちと比べたら、私なんて全然、まだまだ、不幸なんかではない。

仕方ない事情なんかではないのだ。

 

わざわざ市役所まで出向いて、必要な書類も1ヶ月ぐらいかけて揃えたのに。

全く、意味をなさなかったどころか保険料が増えた。この公務員のおじさんからしたら、私はさぞ惨めなんだろうな。

 

「あっ、大丈夫でーす」

 

かろうじて言葉を捻り出したら、予想外に大丈夫そうな声が出た。

 

泣き喚き散らしたかった。市役所の中で「お母さん買ってーーーー」ばりに駄々捏ねて、床に座って、「減免してーーー」って地団駄踏みたかった。

 

でも私は大人なので、公務員おじさんが書類を印刷しに行っている間に少し涙が出たぐらいで済んだ。

役所の中で泣いたのは初めてだった。

 

 

役所のデスク奥に高校の同級生に似た人を見た。すごく似ている。高校で公務員試験を受けていた女の子。多分、その子。椅子には彼女の私物と思しき毛布がかけてあって、市役所のデスクがその子にとても馴染んでいた。

 

虚しくなった。惨めだった。

 

そのあといろいろ手続きしたけど、最後まで、色んな人に何度も執拗に「大丈夫ですか?」と私に声をかけてくれた。

 

うるせーわ。どうみても大丈夫じゃねーだろ。

大丈夫じゃねーけど「大丈夫でーす」って言ってんだよ。

 

正直、役所行く前から保険料なんて糞食らえ。誰が払うか、って気持ちだった。恥を承知で役所に行った、と言うのは嘘だ。

週2で湿布もらいに整形外科行ってるお年寄りの保険料を、私みたいなフリーター社会底辺人が支えている。

 

国保はみんなが入らなければならない。そういう決まりだ。

私は基本的に病院にかからない。

本当はそんなもん払うぐらいなら辞めたい。国保からの脱退条件は「まともな人間になる」か「本人が死亡する」のどちらかだ。

 

私が今すぐこの場で脱退するには、「本人が死亡する」しかないのだ。

払えなきゃ死ね。そういうことだろ日本国。

 

役所から出たら表通りを避けて、ラブホテルがある知らない道を嗚咽して泣きながら歩いた。涙の筋に当たる風が冷たかった。

 

今すぐ死んだら、役所の人びっくりするかな、と馬鹿なことを考えたりしたけど、そんなことはできっこない。

まともな選択を取れるぐらいには私は大丈夫だった。

 

心が死んだ。

私の中の尖った部分、1人で賢く生きたい、生きてやる、証明してやるというプライドが確かに死んだ。白旗を上げた日だった。

 

道を泣きながら歩けるぐらいには図太くなっていたつもりだ。

泣きながら、通行人にギョッと振り向かれながら道を歩いたことがある人は、これを読んでいる人ではなかなかいないと思う。

私は何度もある。

何度もあるけど1番堪えた日だった。これからこの日のことは忘れないだろうと思う。

 

 

広瀬すずになりたい。

私は裏方スタッフ側になろうとしていた人間だし、洗濯機がなくてコインランドリーに通ったこともある。

 

「そういう」のを何も知らない、何も考えず「そういう」ことを純粋に言える、何も知らない人になりたい。そういうことだ。

 

別に広瀬すずを侮辱しているとか、そういうわけではない。ただ、彼女みたいになれたら、と思うだけだ。

 

あー、広瀬すずになりてー。