ワンナイトトリップ
おととしだったか。
流星群が見えるとニュースで聞いた。
12月だっただろうか、その日はとにかく寒かった。
コートを手に取り、マフラーと手袋をはめ、チャイハネで購入したひざ掛けを手に掴み外へと向かった。
住んでいるアパートにはオートロックがついておらず、目の前は細めの路地だった。アパートの入り口には白い石が敷いてある一畳ぐらいの花壇があるので、そこへ腰かけてひざ掛けを羽織った。
アパートの向かいには公園がある。誰が遊ぶのか分からないほど狭い、遊具のない公園だ。
実は、流星群というものは案外見るチャンスがある。星というものはしょっちゅう死んでいるのだ。問題はその日の天気と月の位置だ。
曇っていては星は見えないし、月が近すぎると明るすぎて星の輝きが見えなくなる。
その日は運が良かったのか、本当に綺麗に公園の上にオリオン座が見えた。
極大値は少し過ぎた時間帯だった。3時すぎだっただろうか。
あまりの寒さに手がかじかむ。すぐそこに自販機があったので、たまらずほっとレモンを買った。…買ったはずだった。
お金を入れ、ボタンを押して出てきたのはホットコーヒーだった。しかもブラック。
私は普段コーヒーを飲まない。ましてやこんな深夜には飲む気にはなれなかった。
自分が寝ぼけているだけかもしれないと、もう一度買ったが、やはり出てきたのはホットコーヒーのブラックだった。飲めもしないコーヒーを2つも、両手に握りながら、「なぜもう一度買ってしまったのか」と。それこそが寝ぼけている行動だったことに落胆してしまった。
とはいえホットだったのが幸いした。カイロと化したコーヒーを手にまた花壇へ腰かける。
極大値が過ぎた空を見上げながら、本当に見れるもんなのかな、とダメ元でいろいろなことを考えた。
そうそう、私が流星群に少しこだわるようになったのは、ある小説を読んだことがきっかけだった。
もともとはドラマがとても好みで、原作小説も買ってしまったという流れだった。小学校5年の時である。
三兄妹がある日の深夜、獅子座流星群を見るために両親に内緒で家を抜け出す。
丘の上で降りしきる星を見ながら、寝てしまった妹の額をなでる兄2人。
しかし、家に帰った三人を待っていたのは、両親が何者かに殺害されているという過酷な運命だった。
…というようなさわりである。
子供たちが星を見て「綺麗だね」なんて言っているまさにその時、両親が刺殺されているという事実がなんとも残酷で、そして美しかった。
全然関係ないけど、グロテスクな殺人シーンやビルや街の破壊シーンにクラシック音楽が挿入されることが多いような気がするが、あれって何なんだろう。いっそすがすがしさを覚えるあの感じ、不思議だね。
そんなようなこと夜空を見ながら考えていた。
東京というものは、夜中3時にも普通に人が歩いている。黒いフードを被ったいかにも怪しいといったような風貌の男…なんとことはなく、普通に夜勤して今帰りです、みたいな青年とか、そんなんばっかりだ。
だがどんな普通っぽい人でも、「ゴツめの黒縁眼鏡をかけて、完全防備の毛布を頭からかぶって花壇に座っている女」をさすがに見ないふりはできず、一瞥していくのであった。
そして、もう一度ちらっとみたあと、今度は空を見上げながら通りすぎていく。
「……星、ですか?」
「え……あ、はい。今日は流星群の日なんです」
「こんな夜更けに一人で?流れました?」
「いえ、まだ。もう30分ぐらい粘っているんですけど」
「はは、頑張ってくださいね」
「はい……お兄さんも、帰り道に見えるといいですね」
「あ、違うんです。僕いまから出勤なんですよ、はは」
「すみません、いってらっしゃい」
そんなようなこと夜空を見ながら考えていた。私がただ、空を見上げながらアホな妄想を繰り返していたるだけである。ドラマみたいなことはそんなにやすやすとは起こらない。
結果として2つの流星が観測された。
流れた瞬間、
「あっ!!!」
思わず声に出た。無意識に口元を手で覆っていた。
幸い周りには誰もいなかった。こんな漫画みたいな驚き方するもんなんだ。
寝ぼけた幻覚かと思った。まばたきのバグか何かで光が見えたのかと錯覚した。そのぐらい一瞬だったのだ。なので、もう一回見れたら幻覚ではないはずだと待った。
少しして、1つ目の光が確かに星だったことを知ることになる。
それから3回目をしばらく粘ってみたが、さすがに寒さも限界だった。かなりぬるくなったコーヒーを二つ手に、背中を丸めながら誰もいない部屋へといそいそ帰宅するのであった。
今年も流星群はあるだろうか。ちゃんと晴れてくれるだろうか。ほっとレモンはちゃんと買えるだろうか。夜中に出勤するお兄さんにまた会えるだろうか。3回目の流星を見ることはできるだろうか。