ワンナイトトリップ
おととしだったか。
流星群が見えるとニュースで聞いた。
12月だっただろうか、その日はとにかく寒かった。
コートを手に取り、マフラーと手袋をはめ、チャイハネで購入したひざ掛けを手に掴み外へと向かった。
住んでいるアパートにはオートロックがついておらず、目の前は細めの路地だった。アパートの入り口には白い石が敷いてある一畳ぐらいの花壇があるので、そこへ腰かけてひざ掛けを羽織った。
アパートの向かいには公園がある。誰が遊ぶのか分からないほど狭い、遊具のない公園だ。
実は、流星群というものは案外見るチャンスがある。星というものはしょっちゅう死んでいるのだ。問題はその日の天気と月の位置だ。
曇っていては星は見えないし、月が近すぎると明るすぎて星の輝きが見えなくなる。
その日は運が良かったのか、本当に綺麗に公園の上にオリオン座が見えた。
極大値は少し過ぎた時間帯だった。3時すぎだっただろうか。
あまりの寒さに手がかじかむ。すぐそこに自販機があったので、たまらずほっとレモンを買った。…買ったはずだった。
お金を入れ、ボタンを押して出てきたのはホットコーヒーだった。しかもブラック。
私は普段コーヒーを飲まない。ましてやこんな深夜には飲む気にはなれなかった。
自分が寝ぼけているだけかもしれないと、もう一度買ったが、やはり出てきたのはホットコーヒーのブラックだった。飲めもしないコーヒーを2つも、両手に握りながら、「なぜもう一度買ってしまったのか」と。それこそが寝ぼけている行動だったことに落胆してしまった。
とはいえホットだったのが幸いした。カイロと化したコーヒーを手にまた花壇へ腰かける。
極大値が過ぎた空を見上げながら、本当に見れるもんなのかな、とダメ元でいろいろなことを考えた。
そうそう、私が流星群に少しこだわるようになったのは、ある小説を読んだことがきっかけだった。
もともとはドラマがとても好みで、原作小説も買ってしまったという流れだった。小学校5年の時である。
三兄妹がある日の深夜、獅子座流星群を見るために両親に内緒で家を抜け出す。
丘の上で降りしきる星を見ながら、寝てしまった妹の額をなでる兄2人。
しかし、家に帰った三人を待っていたのは、両親が何者かに殺害されているという過酷な運命だった。
…というようなさわりである。
子供たちが星を見て「綺麗だね」なんて言っているまさにその時、両親が刺殺されているという事実がなんとも残酷で、そして美しかった。
全然関係ないけど、グロテスクな殺人シーンやビルや街の破壊シーンにクラシック音楽が挿入されることが多いような気がするが、あれって何なんだろう。いっそすがすがしさを覚えるあの感じ、不思議だね。
そんなようなこと夜空を見ながら考えていた。
東京というものは、夜中3時にも普通に人が歩いている。黒いフードを被ったいかにも怪しいといったような風貌の男…なんとことはなく、普通に夜勤して今帰りです、みたいな青年とか、そんなんばっかりだ。
だがどんな普通っぽい人でも、「ゴツめの黒縁眼鏡をかけて、完全防備の毛布を頭からかぶって花壇に座っている女」をさすがに見ないふりはできず、一瞥していくのであった。
そして、もう一度ちらっとみたあと、今度は空を見上げながら通りすぎていく。
「……星、ですか?」
「え……あ、はい。今日は流星群の日なんです」
「こんな夜更けに一人で?流れました?」
「いえ、まだ。もう30分ぐらい粘っているんですけど」
「はは、頑張ってくださいね」
「はい……お兄さんも、帰り道に見えるといいですね」
「あ、違うんです。僕いまから出勤なんですよ、はは」
「すみません、いってらっしゃい」
そんなようなこと夜空を見ながら考えていた。私がただ、空を見上げながらアホな妄想を繰り返していたるだけである。ドラマみたいなことはそんなにやすやすとは起こらない。
結果として2つの流星が観測された。
流れた瞬間、
「あっ!!!」
思わず声に出た。無意識に口元を手で覆っていた。
幸い周りには誰もいなかった。こんな漫画みたいな驚き方するもんなんだ。
寝ぼけた幻覚かと思った。まばたきのバグか何かで光が見えたのかと錯覚した。そのぐらい一瞬だったのだ。なので、もう一回見れたら幻覚ではないはずだと待った。
少しして、1つ目の光が確かに星だったことを知ることになる。
それから3回目をしばらく粘ってみたが、さすがに寒さも限界だった。かなりぬるくなったコーヒーを二つ手に、背中を丸めながら誰もいない部屋へといそいそ帰宅するのであった。
今年も流星群はあるだろうか。ちゃんと晴れてくれるだろうか。ほっとレモンはちゃんと買えるだろうか。夜中に出勤するお兄さんにまた会えるだろうか。3回目の流星を見ることはできるだろうか。
グレーな世界を愛したい
アンビバレントとは「相反する感情や考え方を同時に心に抱いている」さまを指す言葉。相反する感情が併存している(=アンビバレントな)状況は、どっちつかずの状態を維持していることでもあり、文脈によっては「曖昧」と訳しうる意味合いで解釈されることもある。これはどちらかといえばネガティブなニュアンスを含む。*1
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2016.5.13
「あなたが好きな場所」というテーマについて述べなさい。
「感情が交互するトイレ」
私の好きな場所は地元にあるTSUTAYAのトイレである。そのトイレは店が改装されてまだ日が浅いため、真新しく清潔だ。
また、掃除も行き届いているのでゴミが落ちていることも少なく、トイレ特有の嫌な臭いもしない。個室全体の色はブラウンと白の落ち着いた雰囲気で、手洗い場が二つに、個室が二つの比較的狭い空間である。
私がこのトイレが好きな理由は二つある。まず一つ目に、人があまり来ないという点だ。このトイレは並んで待つということはほとんどない。なんの気負いもなく一つの個室を占領することができる。
二つ目に、戻ると誰かがいるという安心感があるという点だ、このTSUTAYAにはカフェがあり、そこで本を持ち込んで読書をすることができる。私がここを長時間利用するときは大抵友達と勉強をしに来るときだった。
一緒に勉強する一方、トイレ内では一人の孤独な時間が流れる。それは寂しさを覚えるが、同時に戻ると友達がいるという安心も感じられる。
立ち寄るトイレとは違い、「相手を待たせている」という罪悪感もない。ただ、戻ると誰かがいるということが孤独の中で安心に繋がっているのである。
以上の二つの理由から、孤独と安心感が同居しているこのトイレが私は好きだ。
制作意図・感想
作文に近くなりやすいテーマを小論文調にするのが逆に難しかった。そのため省いた表現もあって、うまく伝わっていないところがある(と思う)
久しぶりに書いたので日本語がおかしいです。
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予備校で書いた初めての小論文、これ。
久しぶりにまた掘り返してみてみたら、自分って案外めんどくせーやつなんだなって。
一人になりたいけど、なりたくない。だけど孤独になりたくない。
なんてことをどこかのアイドルが歌ってたけど、まさにそんな感じで。
今を生きている人たちって性急に答えを求めたがっている。
分かりやすく白黒つけたい。
誰が悪い悪くない、好き嫌い、敵味方
ドラマでは思いを伝えあってゴールイン、振られたかませ犬は新たな恋愛へ走り出す、正義が勝ち、悪い奴は裁かれる。分かりやすいハッピーエンドがみんな大好きよな。
私も結局、その白黒つけたがる一人なんだけど、最近はもうそんな風に考えるのが面倒になってきた。
高校ぐらいまでは、正しいものは正しいと言いたかったし、間違っているものはこの世から無くなったほうがいいと思っていたんだけどね。
地に足がつかない話をして申し訳ないんですけど、うん。
実際のところ、分かりやすい結末なんて都合よく用意されていないのよ。
政治家の汚職に声をあげよう!とか、小児性愛者に対して規制を!とか、みんなで白黒つけてやろう!みたいな動きが日々広がってきて、なんかめちゃくちゃ疲れてしまった。
こんなネットの動きが当たり前な今を生きている多感な年ごろの子たちって大丈夫かな、将来逆に心配なんですけど。ほらまた白黒つけようとしてる。こういうとこよ。
人って、人と関わっていかないと無理じゃないですか。誰もここまで一人で生きてきた人なんていない、でも、必要以上に人に関わっていかなくていいんじゃないの、って。
みんななんとなく流されて、なんとなくで生きて、なんとなーく何かが欠けた生活を、ごまかしながら続けているんだよ。
自分だってグレーに生きてるくせに、人に偉そうに線引きして「お前は黒だ」って考えること自体につかれた。つかれた。
もっと人に無関心になっていいんじゃないですかね。無関心なことって悪いことなのかな。
曖昧に、誰の味方でもなく、敵でもなく、ぼんやり眺めてるだけで。
他人がどうなったって知ったこっちゃない、不幸になったり幸せになったり、好きにしてもらって、うん。
こんな世界どうかな?
あー、グレーな世界を愛したい。
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あるいは、2つの価値観を同時に持っているという点で「両価性を持っている」という意味で使用されることもある。この場合にはどちらかといえばポジティブなニュアンスを含むこともある。*2
伏線を張るということ
5年ほど前、初めて創作の文章をしっかりと書いた。
それを第三者に読んでもらった時に思ったことがある。
文章に登場する物質の色や人物の名前、セリフ回しなど深い意味合いを持たせて書き込んだつもりだったが、何一つ気づいて貰えなかった。
深い意味合いを持たせて書いた文章、それをちゃんとした言い方で表現するなら伏線。
ただの学生・友達が書いた文章。普通の文章。
当たり前に、読む側は深読みだってしないし、ただのその時だけの文章として消化される。
気づかない読み手がバカだということが言いたいのではない。
そして書き手の私の力不足だということが言いたいわけでもない。
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自分の作品をしっかりと見て貰えるには、それなりの環境が整っていないと難しいということ。
そして、表現者として長く食っていくためには、いつか来る「読んでもらえる時」のために考えて描写し続けることが必要なのではということ。
話の中にひっそりと種を蒔いて、いつか花が咲くときをひたすら待つ。
私には、育てた花を見てくれる人がいなかった。
そんな感じ。
だからさ。種を蒔くだけ蒔いて、育てない。
んで、ポットに咲いた別の、同じ種類の花を持ってきて、「これ、咲くとこんな花になるんですよ」って見せるようなやつ、嫌いなんですよ。
自分の張った伏線を作品内で完結させない人。
作品外の別の書籍で、ネタ明かしや物語の設定を補完させる人。
せっかく見てくれる人が大勢いるのに。
「これはどういう意味なんだろう」って一生けん命に考えてくれる人がいるのに。
自分だけが分かるようなこだわりを含ませることは、読者・視聴者への信頼の現れであり、そしてそれは自分への自信でもあると思っていて。
だから、信頼を裏切らないように、自信過剰にならないようにしなければならないなと肝に銘じるわけです。
設定秘話、なんてものはファンしか見ない。自分のことを何も知らない人が見ても、「これ面白かった、他の小話も聞きたい」って思わせるようにしなきゃ敗北だと思っている。
「追加DLCが有料で配信されることが予め分かっているゲームってどうなの」問題みたいなのに近いかもしれない。
ガイドブックは、ごはんのおかずが無いときのふりかけぐらいのポジションじゃないとダメだと思うんだよ。
はい、わけわかんなくなってしまったけど、これからも私は何か書くとき自己満足でいろいろ書くし、誰にも伝わらないようなことも入れるし、ひとり見返してうわ最高だなって気持ち悪く浸ったりもします。
気づいても気づいて貰わなくてもいいので。
好きな人だけ深読みしたり、いっぱい読んでくれたらいいや。
あ、最近これ予約しました。
毎週の楽しみだったMIU404。
脚本、演出、役者。熱量が素晴らしい作品。
もちろん伏線も美しく回収されていて、視聴者の予想を超える展開が何話にも渡って繰り広げられている。
日本のエンタメを盛り上げてくれてありがとう。
そんなこんなで以上です。
下書きが増えていくばかり。毎日いろんなこと考えるのにね。
最後まで読んでくれてありがとう。
2020.1.1
おじいちゃんとビールで晩酌
朝食
つい最近まで解体する予定だった家
モノが減って寂しい
おじいちゃんとおばあちゃんの暮らし
神社行った 川に銭を投げるらしい
三兄妹
昔は似てないと思ってたけど、似てる
とんかつ おいしぇ
揚げ物の気分ではなかったのに全部食った
ラーメン おいしぇ
金の器はレアらしい
今年の元旦の思い出でした
写真は加工すんのだるくて全部無加工
フィルターかけて撮ってるのもあるけど
ミラーレス一眼で撮ってます
今年も半分終わったのになんの成果も得られませんでした
まじでがんばろな、わたし
タイトルを募集します
予備校にいたときに描いた作品をお見せするよ。
某美大の某映像学科の入試対策で書いたもの。
課題文を晒したら予備校に怒られそうなので割愛します。
簡単に言うと短い小説を挿絵と一緒に書きましょうという課題。大きな出来事が起こったりオチが面白かったりするようなエンターテイメント性はこの課題では求められていません。他に条件は色々ありますがこんな感じです。どうぞ。
『北斗星』
上野から乗車して850km。
気温0度、室温15度。深夜2時16分。この寝台列車「北斗星」は凍てつく夜を走り続けていた。
北斗星は来年の3月に廃止されることが決まっている。男は車窓の赤いカーテンをぼんやり眺めていた。時折、老朽化の進んだ車内には踏切の振動がこだまする。書類ケースとスーツだけで乗り込んだ彼の背中は薄暗い車内にぽつんと佇んでいる。
カーテンをそっと開けると、車窓は曇っていた。男は結露した窓の水滴を指で拭った。分厚いガラスの窓からツンとした冬の冷たさが指先に伝わる。
キュ、キュ。徐々に指の端から夜の暗い闇が姿を見せる。外は都心からすでに離れ、時折ビルの影を落としているだけになった。そしてまた、長いトンネルへと入っていく。
ゴウゴウ ゴウゴウ
耳の奥で響いているような轟音がリピートされる。暗い車窓を、男はただ眺める。家庭も仕事も離れ、この北斗星に座っている瞬間こそが彼だけの時間だった。
男は幼いころに二度、祖母に連れられて札幌から上野まで旅をしたことを思い出していた。あの時とは違う一人用の個室で、固いベッドの感触を確かめる。この時間を過ごすことも最後になるだろう。
ボウッ。
トンネルを抜けた。月の光が個室を照らす。今夜は満月だ。窓からは無数の街の光が横切っていく。それはまさしく、男の記憶そのものであった。北斗星に乗っただけ、過ぎ去っていく景色があったのである。
過ぎる景色の中で、満月だけがじっと北斗星を見つめていた。大きく佇むそれは男が確かに今、ここで、この列車に揺られていることを唯一証明していた。
講評
久しぶりに自分の文章を読んだ感想を…。
まずこのこれを書いた時の心情として「なんかこういう感じのが書いてみたい」みたいなのだったのは覚えててさ。それに対して満足できるものではあった。
ただ、内容の粗さでいうと結構やばくて神の視点と一人称の使い方が適切かってこととか、主人公の人間性が見えないってこととか。人間性が見えないことに関してはそういうのはそういうのでいいんだろうけど、それがこの中において成功しているかは疑問。とかね、気になる点はある。
それと一番気になるのは後半のトンネルを抜けてからにかけて。
正直まるっとするっと全部手直ししたい気分。「え、なに急に」といった具合に、文章で説明口調が続いてついていけない。男の記憶そのものって何?どゆこと?哲学?みたいになる。
あと擬音がやっぱりなんか面白く聞こえちゃうな。仕方ないんだけど、実はこの入試において擬音を入れるのは効果的という調べが出ておりまして、ゆえこのように入れております。ちょっと可笑しくても目をつむってほしい。
まあ全体的に言うと、劇的なオチがいらないにしてもさすがに描写ばっかりでうーんって感じかな。
ただ、作品の温度みたいなのは気に入っています。
更に当時は考えもしなかったことだけど、「北斗星」と「月」ってどっちも同じ宇宙に存在してるもので、さらにいうと星は自ら輝くけど月は太陽の光を受けて光る、いわば「対」なる存在だな、ということに気付いた。くそオタク特有のこじつけ理論。こういうの大好きでしょオタクは。光と影みたいな。ほら。黒バスとか履修してるオタクは分かるだろ?いやオタクの話を一旦置いて。
自ら光を放つ北斗星が廃車になるのに月は変わらずそこにいる。というこの構造をつめていくともっと長編?違うな、なんだろ、主人公の人物像に設定を加えて濃い作品にすることもできるんちゃうか、と。思ったわけですわ。深読みオタクの名が廃るぜ。
ほんで、タイトル『北斗星』にしてるけど単純すぎんか?お前は本当にオタクなのか?あえて単純にしたんか?なんからしくないぞクソオタク。
ちょっとオタクっぽくタイトルつけるなら『逃避行』だろうな。今タイトル考えてって言われると困るけど、うーん。
タイトル募集します。
今回は以上です。
セルフ講評。好評ならまたやります。……な、なんちって。
広瀬すずになりたい
広瀬すずになりたい
国民健康保険料が払えない。
厳密に言うと、払えなくはない。
払うと、私の収入がマイナスになる。ただそれだけだ。
月1万弱も払えないなんて情けない。
恥を承知で役所に行った。
国保の減免のお願いをしに行った。「ちょっと、払うのが難しいんですが」って。
田舎に帰省してから収入は半分以下になっていた。
都会にいたくせに遊びというものをしなかったおかげで貯金はまあまああった。その貯金も、実家への家賃と、人に貸した分と、ローンと、文化的な生活のための出費で底をつき始めていた。
働いている日数と時間は前より多いのに、収入は半分以下。それが田舎の現実だ。
役所の受付のおばさんは優しい。
「この券を持って、あそこの窓口に行ってくださいね」と笑顔で教えてくれる。
国から金をせびりに来た女にもこんなに優しくしてくれるんだと思った。
国保の減免の待合椅子は、キティちゃんのスリッパを履いた髪のボサボサのおばさんと、湘南乃風を崇拝してそうなお兄さんが先に座っていた。
20分ほど待ち、私の番がきた。
結論から言うと、保険料は増えた。
減免してもらう予定が、反対に増えてしまった。
増えた理由はいろいろあってのことなんだけど。
対応してくれたおじさんはとても申し訳なさそうに「すみません、大丈夫ですか?」と何度も私に言った。
大丈夫な訳ないだろ。
大丈夫な訳が、ないだろ。
減免が認められなかった。
国保の減免は、私よりもっと辛く苦しい人のためにあるそうだ。
家族が病気になった人、自分が病気になった人、会社が倒産した人、そんな人たちと比べたら、私なんて全然、まだまだ、不幸なんかではない。
仕方ない事情なんかではないのだ。
わざわざ市役所まで出向いて、必要な書類も1ヶ月ぐらいかけて揃えたのに。
全く、意味をなさなかったどころか保険料が増えた。この公務員のおじさんからしたら、私はさぞ惨めなんだろうな。
「あっ、大丈夫でーす」
かろうじて言葉を捻り出したら、予想外に大丈夫そうな声が出た。
泣き喚き散らしたかった。市役所の中で「お母さん買ってーーーー」ばりに駄々捏ねて、床に座って、「減免してーーー」って地団駄踏みたかった。
でも私は大人なので、公務員おじさんが書類を印刷しに行っている間に少し涙が出たぐらいで済んだ。
役所の中で泣いたのは初めてだった。
役所のデスク奥に高校の同級生に似た人を見た。すごく似ている。高校で公務員試験を受けていた女の子。多分、その子。椅子には彼女の私物と思しき毛布がかけてあって、市役所のデスクがその子にとても馴染んでいた。
虚しくなった。惨めだった。
そのあといろいろ手続きしたけど、最後まで、色んな人に何度も執拗に「大丈夫ですか?」と私に声をかけてくれた。
うるせーわ。どうみても大丈夫じゃねーだろ。
大丈夫じゃねーけど「大丈夫でーす」って言ってんだよ。
正直、役所行く前から保険料なんて糞食らえ。誰が払うか、って気持ちだった。恥を承知で役所に行った、と言うのは嘘だ。
週2で湿布もらいに整形外科行ってるお年寄りの保険料を、私みたいなフリーター社会底辺人が支えている。
国保はみんなが入らなければならない。そういう決まりだ。
私は基本的に病院にかからない。
本当はそんなもん払うぐらいなら辞めたい。国保からの脱退条件は「まともな人間になる」か「本人が死亡する」のどちらかだ。
私が今すぐこの場で脱退するには、「本人が死亡する」しかないのだ。
払えなきゃ死ね。そういうことだろ日本国。
役所から出たら表通りを避けて、ラブホテルがある知らない道を嗚咽して泣きながら歩いた。涙の筋に当たる風が冷たかった。
今すぐ死んだら、役所の人びっくりするかな、と馬鹿なことを考えたりしたけど、そんなことはできっこない。
まともな選択を取れるぐらいには私は大丈夫だった。
心が死んだ。
私の中の尖った部分、1人で賢く生きたい、生きてやる、証明してやるというプライドが確かに死んだ。白旗を上げた日だった。
道を泣きながら歩けるぐらいには図太くなっていたつもりだ。
泣きながら、通行人にギョッと振り向かれながら道を歩いたことがある人は、これを読んでいる人ではなかなかいないと思う。
私は何度もある。
何度もあるけど1番堪えた日だった。これからこの日のことは忘れないだろうと思う。
広瀬すずになりたい。
私は裏方スタッフ側になろうとしていた人間だし、洗濯機がなくてコインランドリーに通ったこともある。
「そういう」のを何も知らない、何も考えず「そういう」ことを純粋に言える、何も知らない人になりたい。そういうことだ。
別に広瀬すずを侮辱しているとか、そういうわけではない。ただ、彼女みたいになれたら、と思うだけだ。
あー、広瀬すずになりてー。
終
死際に空を見る
ATTENTION
いまが最高、ちょー楽しいし今までも充実してた
不登校?登校拒否?なにそれ大丈夫?心の病?
中途半端なやつ嫌いなんだよね
そんな方は読まないほうがいいです。ブラウザバックでインスタのストーリーでも更新してください。
1人でボソボソ呟いてるような暗い内容ですので、気分を害する可能性があります。自分で書いてても気分を害したのでどんな人でも気分が悪くなります。
また言ってるよコイツ、と思っても哀れまないでくれる人だけどうぞ。
中学の話。
小学校6年、受験もないし、最高学年で気をつかう先輩もいないしすごく楽しかった。
クラスの中心的役割、も一応担ってたつもりで、生徒会にも入ってて、まあそれは周りに支えられていたから成り立ってたわけなんだけど。
自分に対する自信みたいな、自己肯定感みたいなのがまだちゃんとあって。
それが中学に入ってちょっと変わってしまった、というか。
成績に対してちゃんとした数字で評価されるようになって、2年3年の先輩は1年からしたら先生より偉いし怖くて、塾は厳しくて、恋愛は生々しくなって。
1年生の時はまだ頑張れた、この頑張れたっていうのは自分の思い描く中心にいられたってことなんだけど。
2年生の時にちょっと限界が来て。
よく考えたら1年の時に始めたばっかりの部活に行けなくなったことから限界は来てたわけですが。
まあ、普通に学校に行くのがクソほど嫌になった時があって、1週間ぐらい引きこもってた。
親、祖父母、家族全員会議で、
「何が嫌なの?」「いじめられてるの?」
「あなた友達はいないの?ほら、◯◯ちゃんとか」「いないなら従姉妹のホラ、あの子に話を聞いてもらったり」
「そんな一日中寝てて、だらしない、早く起きなさい」
そんなことを毎日言われ、
「だって、嫌なもんは嫌なんだもん」
って感じだった。
部活だって本当は嫌だったし、塾も嫌だった。
何を我慢してこんなこと。って。
部活は1年の最初に行かない期間があったせいで先輩はちょっと冷たいし、塾も成績が落ちてきて比べられることが多くなったし、もうなんか全部やめちゃいたいな、みたいな。
このままじゃヤバイ。何がヤバいか分かんないけど、ヤバイ。って思って学校に行き始めましたけど、嫌なもんは嫌だよね。
その頃ネットでチャットばっかりしてたんだけど。チャットの中には色んな人がいるんだよね。
まず同じ県の人なんていない、関東、北海道、四国はどんなところかとか、制服は中学生でもブレザーなんだよ、とか。高校生の人も、大学生の人もみんなタメ口で、スカイプとか電話番号とか交換して、夜中までおしゃべりしたり。その時が本当に楽しくて。
学校の代わりにデイケア行っててポップンがめちゃめちゃ上手い人とか、引きこもりでゲームが上手い人とか、岐阜の進学校で辛そうな人とか、高校生なのに絵が上手い人とか、歌ってみた投稿してる人とか。
みんなほとんど年上だったけどみんな対等でさ。
そんな世界に片足突っ込んじゃったせいで
「こんなクソ田舎の中学校で、ちょっと部活行かなかったぐらいでそっけない態度で、たった1年早く生まれたぐらいで偉そうに、なんなんだよ。くだらねー」って思うのは自然なことだったんだろうな、と今になって考える。
その頃ぐらいから「絶対都会に出よう」と決めて、こんな紙切れ意味あんのか?っていう中3の進路希望調査には「東京の美大に行く」って書いた。
そして中2の時の先輩からもらった引退記念のお手紙には書く内容が無かったのか、2行分にひと文字分デカデカと「男遊びはほどほどに」という内容が書かれてて笑った。うるせ〜〜よww(読んだ当時はなかなかのショックだったけど)
ギリの精神で続けた部活、引退の時に思ってたのは
「私は1年の時いかなかったし、みんなと対等じゃない、おこがましいな。」
ってこと。
正直に言うと、上手くなりたいとかそういうことは二の次で。
行かなかった時期を取り戻すために、対等だって認めてもらうために、自分で認められるように。それだけの理由で行ってました。読んでいる人で気を悪くする人がいたら申し訳ない。
とにかく、「こんな世界、狭い。全部ダサい。」って思ってる自分と「でもこんな狭い世界でうまくやるしかない」っていう現実がバラバラになって精神的に辛かったよって話です。
結果、普通が1番いいのかも。
普通に学校にちゃんと毎日行って、ちゃんと部活を頑張って、ちゃんと勉強して。普通に就職する。
就職のかたちは違えど、絶対に否定されることはない。
周りの大人は「就職おめでとう、よかったね」って言うし。よかったね。
就職決まってる人に「あなた、普通でよかったですねえ」って嫌味で言ってるわけじゃないんですよ。
普通のレールに乗れれば、良かったのに。や、違うな。乗ったままで良かったのに。
普通のレールの電車に乗ってて、車窓眺めてたら隣のレールにリニアモーターカーが走ってきて。
「あれに乗りたい!」って二駅先で乗れたはいいけど、リニアモーターカーの中の車内販売がめちゃめちゃ高くて水一つすら買えなくて。降ろして貰えたけど、もとのレールの電車の停車駅は無いからもう乗り直せない。
例えが異様に下手ですけどこんな感じ。
今、レールを横目に舗装されてない道をトボトボ歩いてるって感じ。
車窓なんか見なければ普通の電車に乗れたのに。
普通ってクソ食らえって思いながら、普通を途中まで過ごした人間は、リニアモーターカーには乗れないんですわ。
井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る。
空の深さを知る前に、大海に出たカエルはどうなるか。
そして何度も言うけどみなさんをバカにしてるわけじゃないので。気を悪くしないでくださいね。
この文章で気づいたと思うけど、私はプライドが異様に高いくせに自己肯定感は低い。自意識過剰で周りを気にしすぎる。自己の過大評価ゆえに現実とのギャップに苦しむ。
そんなヤバ人間です。
ていうか、こんな風に自分を分かってるみたいに言うけど本当はなにも分かってない。なにがいけなかったか全然分かんない。
どうやったら生きやすくなるか?
答えは簡単、
五千兆円手に入れる。
んじゃ。
書き終わってからタイトルつけたけど、ちょっと草じゃない?草