伏線を張るということ
5年ほど前、初めて創作の文章をしっかりと書いた。
それを第三者に読んでもらった時に思ったことがある。
文章に登場する物質の色や人物の名前、セリフ回しなど深い意味合いを持たせて書き込んだつもりだったが、何一つ気づいて貰えなかった。
深い意味合いを持たせて書いた文章、それをちゃんとした言い方で表現するなら伏線。
ただの学生・友達が書いた文章。普通の文章。
当たり前に、読む側は深読みだってしないし、ただのその時だけの文章として消化される。
気づかない読み手がバカだということが言いたいのではない。
そして書き手の私の力不足だということが言いたいわけでもない。
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自分の作品をしっかりと見て貰えるには、それなりの環境が整っていないと難しいということ。
そして、表現者として長く食っていくためには、いつか来る「読んでもらえる時」のために考えて描写し続けることが必要なのではということ。
話の中にひっそりと種を蒔いて、いつか花が咲くときをひたすら待つ。
私には、育てた花を見てくれる人がいなかった。
そんな感じ。
だからさ。種を蒔くだけ蒔いて、育てない。
んで、ポットに咲いた別の、同じ種類の花を持ってきて、「これ、咲くとこんな花になるんですよ」って見せるようなやつ、嫌いなんですよ。
自分の張った伏線を作品内で完結させない人。
作品外の別の書籍で、ネタ明かしや物語の設定を補完させる人。
せっかく見てくれる人が大勢いるのに。
「これはどういう意味なんだろう」って一生けん命に考えてくれる人がいるのに。
自分だけが分かるようなこだわりを含ませることは、読者・視聴者への信頼の現れであり、そしてそれは自分への自信でもあると思っていて。
だから、信頼を裏切らないように、自信過剰にならないようにしなければならないなと肝に銘じるわけです。
設定秘話、なんてものはファンしか見ない。自分のことを何も知らない人が見ても、「これ面白かった、他の小話も聞きたい」って思わせるようにしなきゃ敗北だと思っている。
「追加DLCが有料で配信されることが予め分かっているゲームってどうなの」問題みたいなのに近いかもしれない。
ガイドブックは、ごはんのおかずが無いときのふりかけぐらいのポジションじゃないとダメだと思うんだよ。
はい、わけわかんなくなってしまったけど、これからも私は何か書くとき自己満足でいろいろ書くし、誰にも伝わらないようなことも入れるし、ひとり見返してうわ最高だなって気持ち悪く浸ったりもします。
気づいても気づいて貰わなくてもいいので。
好きな人だけ深読みしたり、いっぱい読んでくれたらいいや。
あ、最近これ予約しました。
毎週の楽しみだったMIU404。
脚本、演出、役者。熱量が素晴らしい作品。
もちろん伏線も美しく回収されていて、視聴者の予想を超える展開が何話にも渡って繰り広げられている。
日本のエンタメを盛り上げてくれてありがとう。
そんなこんなで以上です。
下書きが増えていくばかり。毎日いろんなこと考えるのにね。
最後まで読んでくれてありがとう。